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我が友に、手段こそ違うが美を求め、追求し、それを表現しようとする仲間がいる。この友と語らい、互いの美意識を交換すると、自分の作陶にとって直接的でない故か、大いに刺激となり発奮することがある。 このような友を呼び、語り合う時、そのもてなしとして、肩を張って独りよがりなお茶事のまねごとでもと試みてみるが、やはり、これでは物足りぬ。心行くまで語り尽くそうと思うとき、いつもすることがある。 自作の酒会壷に日本酒を張り、真ん中に据えて、柄杓を掛け、やはり自作のぐい呑みを並べて友を待つ。その昔、酒会壷はこのように使ったものなのか、“酒会壷”とは誰がつけたか、よく言った名だと感じる。徳利に一合、二合と入れて往復する手間も省け好都合である。偶然か、我が友はほとんど冷や酒好みときている。そのぐい呑みは、すべてテストピースの色見。気軽に作意もなく作った、色見の不用なものが我が家には数多くある。この中から面白そうなものを取り置き、このような時に使う。今回は、楽しみで作ってみた色見を並べてみました。興に乗ってくると、柄杓でぐい呑みに酌む手もおぼつかなくなって、どちらからともなく大きなぐい呑みの所望となり、益々話が弾み宴は尽きようともせず、誠にもって楽しい。 酒さえあればこと足りる我等若者もやはり少々の肴も欲しい。よく通う近所の鮨屋「鮨好」で、このおやじ自慢の“おおとろのたたき”。それも脂がのりすぎたインド鮪の鎌下のところを、沢庵と浅葱を加えた“たたき”。トロのピンク、沢庵の黄、浅葱の緑が青磁の器に彩りもよく、また、冷や酒にこの上ない肴である。 “官窯青磁”それも、あの幽玄蒼古な美しさを持った汝官窯の鉢や皿は、如何にして使われたのであろうか。思うに、遠路より貢がれた山海の珍味をその皿に盛り、絵を論じ、詩を評した、微宋皇帝の食卓模様。その時の有様を想像すると、頭の中に自分が求めようとする、馥郁たる芸術的香気の満ちた世界が浮んでくる。 青磁、それも宋時代の官窯青磁の魅力にひかれ、ひたすら追い求め、そこに自分を主張する時、官窯青磁の持つ技術の粋を尽くし、しかも、幽玄で、気品のある美しい“品格”と、自分の発想によるくだらない造形の対比。いかにしてその“品格”を崩さずして、自分の造形を表現するかである。我々作陶家に与えられた、他の工芸にない特性、それは土には可塑性があることである。これを追求することが、作陶を志す者の進むべき道であると思う。しかし、あまりにこれを強調しすぎると“品格”を失う。この闘いが今の私の仕事である。 |
(炎芸術―5 器に盛る 5 阿部出版 1984.1.1 に寄稿) |