
| 台北、故宮博物院を最初に訪れたのが、今から、20数年前、南宋官窯青磁を勉強するためであった。その頃、故宮博物院では、今とちがい大変沢山の展示物が陳列され、青磁だけでも一室もうける程でした。 私は もっぱらその室で時を経やしていた。 当時、日本でもようやく官窯青磁が注目され始めた頃で、我が家の祖父(初代竹春)の世代では、“青磁では砧が一番”という解釈であり、その様に教えられた。しかし、自分なりには官窯青磁の方が勝っていると思うが、それは、唯、砧よりも厳しい作風であるという程度のことだった。 その官窯青磁を勉強する目的で訪れたのだが、静かで、控えめで、暖かく、見る人を吸い込んでいく青磁“汝官窯”に心ひかれてしまった。優しく高雅な幽玄の美しさを感じさせるのである。 帰朝の前日、ご好意で幸いにも、手に取らせていただく栄をえたが、ほとんど汝官窯の作品に絞らせて頂いた。 中国の陶器と日本のそれを比べる場合、つめたい、かたい、と評するが、こと汝官窯には、この言葉は当てはまらないと思う。決して威張りもせず、心静かに自分を抑え内面から滲み出るものを表現しているのだ。力強さというものは表面からは感じられないが、だからといって弱いのではない。 雨過天青という言葉の青に、澄みきった青空をあてるが、私は澄みきる数時間前の湿潤なうるおいのある空気の中に見る「青」と思いたい。押せばへこむのではないか、体温があるのではないか、だれもがパッと目を見張るようなものではなく、気を留めていないと見過ごしてしまうような存在。 汝官窯を見ると、いつもこの様なことを想うのである。 そして、この“想い”に憧れながら、自分の心境をダブらせたいのである。 |
(里文出版 月刊「目の眼」 1991.12.25発売 特集“青磁”に寄稿) |