
| 昨年、中国北方の窯跡を訪ねた仲間達と、今年は韓国 慶尚北道 聞慶窯にて作陶する企画を頂き、喜んで参加した。
今回訪問させていただく“聞慶窯”とは、韓国 慶尚北道 聞慶邑 陳安里にあり。韓国で高麗茶碗の第一人者とされる、千漢鳳先生の窯である。
このグループの旅行は毎回ハプニングで始まる。今回は突然の出発地の変更、名古屋空港が関西空港になってしまった。おかげで、朝三時に起床しバスにて土岐を出発。途中交通渋滞に巻き込まれハラハラ、ドキドキするも、無事機上の日韓陶芸視察団となる。
聞慶邑 陳安里は忠清北道と慶尚北道の道境の峠下に位置しこの峠は李朝時代、鳥嶺山関門と呼ばれ三重の関門で都、京城を守る砦でもあった。そして、文禄の役において、加藤清正、小西行長が再会した場所でもある。石碑があり、さっぱり判らないハングル文字の中で漢字で書かれた二人の名前に親しみを感じた。また、この時代にこの国の陶工達が沢山日本に来て、今日の我々があることを思うと、この由緒ある地で作陶出来たことが嬉しくも感じられた。
十日間で仕上げるなんて不可能と思ったが、成る程これなら。しかし驚くことばかり、まず、この真夏の暑い盛り、軒下の寒暖計が三十九度も指しているのに、仕事場にオンドルが焚いてある。これはその日に作ったものはその日に仕上げるというこちらの精神なのだ。つまり、朝、ろくろ挽いてオンドルの上にのせる。昼には高台が削れる。またのせておくと、午後には化粧掛けが出来、仕上がってしまう。そして一晩余熱で乾かすともう素焼きができる。こんなことは考えられなかった。我が家では陽に当たるところに出しても親父に怒られたし、そんなことをしたら高台が切れてしまう。千漢鳳先生にこの事を話すと、「韓国の土はいいんですよ」と笑いながら自慢しておられた。成る程この作業工程でいけば、気持ちの持続が一日に集約でき、結果として良いものができるかもしれない。しかし、徳利に絞った私は少々戸惑った。オンドルの上にのせて頂くと当然下から乾く。高台の削り加減になっても上半分はまだグニャグニャ。仕方なく、自分で早い目に外に出し風に当て調整をした。千漢鳳先生はどうしているのか聞きそびれた。
各自で釉掛けをしたかったが今回は時間もなく、千漢鳳先生にお任せすることとなる。これがまた凄いスピードである。お嬢さんとお弟子さん三人で、まずお弟子さんが先生に高台をつかみやすいように作品をひっくり返して手渡す。先生はガバッと樋に浸し横の板におく。それをお嬢さんが手にとりスポンジで余分な釉を拭きながら重ね焼きの組み合わせを決めていく。我々がひたすら作った六百余点、それに釉も八種類程度あったが四時間程度で全て終了する。この間、先生がまるで釉掛けロボットのように思えた。各自で釉掛けが出来なかった残念よりも、驚きのほうがまさっていた。
今度は、“めつけ”。工房へ伺うと“めつけ”用の土が皿の上に練ってある。粘り気がほとんどなく、丸められそうに思えなかった。まず、お嬢さんが“め”を作るのだが、右の指三本、左指一本で三角錐の形に“め”を作り台の上につぎつぎを並べる。先生が組み合わせた茶碗三段、盃二段の“めつけ”をして重ねる。この作業も午前中でほぼ終了してしまった。茶碗に五個、盃に三個の“め”をつける。その数およそ二千個は在ったろう。お二人のチームワークと手際の良さに頭が下がった。それと後で判るのだが、この“め”は焼成するとパサパサの粉末状になってしまう、したがって焼成後の“め”の掃除が極めて簡単で何の道具も必要としなかった。そして“め”土として再生ができるのだ。この時“糊”を加えて粘りを出す。
窯詰、どこにいれるか、皆、気になるところだが、窯癖を熟知している先生にすべてお任せし、まったくの公平であった。これも、半日で終了。
火入れ、焚き口の前に、ゆでた豚の頭、蒸した米粉の餅、ドブログの御神酒を供え、千漢鳳先生が韓国式、加藤芳右ヱ門先生が日本式でお祈りをし、いよいよ火入れ。大変大きな“胴木間”には電柱ほどの太さの丸太が一杯に立て掛けてある。その手前のタキギに火を付け、お供えのお下がりで宴会となる。約四時間後、胴木間の炎は次の“空の間”に移り追い焚き、そして、一の間、二の間の追い焚き、各間一時間足らずで上げてしまった。焚き初めからたったの七時間と極めて短く、焚き口も開けっ放し、ワレ、サメが心配になる。翌朝伺うと、もう入り口のレンガは外され窯出し、先生が窯の中に入り、全員で手渡し、庭先に並べられたおよそ六百点、よくもまァこんなに作ったものだ。壮観な眺めであった。一点一点見る間もなく、各自に仕分けし、荷造りとなる。
十日間あっという間でしたが、見て体験し、同じ陶器を作るということでも違いの多さに驚きました。いいか、悪いかは別として、妙な芸術性、精神性などを問うこと無く、ひたすらに作ることに専念する姿に、我々が忘れ掛けている一面を感じました。
最後になりましたが、大切なお仕事場とお時間を、十日間も我々に開放して下され、貴重な土、釉薬を惜しげ無く使わせていただいた、千漢鳳先生に感謝申し上げます。
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(陶説525号に寄稿 1996.12.1) |