生きた土 死んだ土
酒会壺を囲んで
汝官窯への想い
三千年目の再会
中国北方の旅
韓国 慶北 間慶窯にて作陶
そこに座れ
上林湖、景徳鎮の旅
中国江南の旅
宜興 丁蜀鎮
デビットコレクション
青磁の魅力を探る
和様と唐様
初代川瀬竹春
高麗青磁素文蓮花形碗
淡交会講演原稿抜粋
安宅コレクション
テストピースの制作
亡き弟からのメッセージ
魅せられた青磁と自作
奥深き中国陶磁の魅力
もし、出会っていなかったら
外焔
   三十年近く前、鎌倉山に別荘をお持ちの数奇者(故人)が初夏の一日お庭にある古藤を「藤の花を見る会」と称して、親しい友人をお招きになり園遊会を催された。(以後お亡くなりになるまで毎年開催された)  模擬店の一つとして冷たい「そうめん」がふるまわれ、そうめん鉢として私の青磁輪花鉢を使って頂いた。青磁の色のもつ涼しさからの依頼だったと思う。 その頃の私(二十代前半)はもっぱら『官窯青磁』の魅力に憧れ、それに習うことに没頭していた。それも、魅力の中の「厳しさ」「シャープさ」に偏っていた。  宴も盛り上がりあちらこちらで声高な会話が聞こえてくるようになった。そんな中、一際興奮している者がいた。私の親父だ! 相手は『瀬津 巌』様だった。何が原因か知らぬが、酔っ払ったら絶対に引かない親父だ、放っとくしかない。ところが、しばらくして二人に呼ばれた。ことの発端は「輪花鉢」らしい。 『巌』様いわく 「こんなカチン、カチンな焼き物作るな」 「日本人だろ」 「こんな仕事してたら息が詰まちゃうぞ」 私は反論する気持ちは十二分にあったが、でも怖くて口に出せないでいた。 それを察していたのか、親父は「和物にはない中国陶磁の厳しい魅力を」『巌』様に説明、否、強引に説得しようとしていた。この論戦は平行線のまま決着はつかなかった。つくはずが無いことは判っていたが、取っ組み合いにならなかっただけでもよかった。この事件の後、 『巌』様からはお会いする度に 「なにやってる?」 「頑張りすぎるなよ」 「遊びに来いよ」 とお声を掛けていただいたが、これが大変である。 御存じの如く、『瀬津雅陶堂』さんに入るには、目に見えないバリアが幾重にもある。 日本橋、仲通り界隈の古美術店は皆そうだが、もっとも威圧を感じさせるお店ではないだろうか。 意を決し、 入口の階段をおそる恐る二段程登っていく、 随分先にある自動ドアがさァーと開く、 あと戻りすることも出来ない、 取り敢えず足を進める。 広い空間に吸い込まれるが、 大きな『地蔵菩薩』が見下ろしていらしゃる。 足が動かない、 何歩かあるけたとしても、 また、階段が待っている。 ここを登るにどんなに気合いがいるか。 ようするに『位負け』なのだ。 ようやく、受付の所にたどり着く、すると慈愛に満ちた素敵なお嬢さんが微笑んで下さる。私は心臓の鼓動を抑えるのが精一杯である。何度お伺いしても変わらない。  そんな中で、ご自慢の「盃」が沢山入った鞄を抱え『見たいか?』と、おっしゃり、次々と箱から出して下さったことがあった。このような盃でお酒を飲んだら美味しそうだなと・理屈でか・・体でか・何となく知り始めていたころで、嬉しく拝見させていただいた。大変ご機嫌がよろしかったのか、『もっと、見たいだろ!』と鞄の中に手を入れられた。それは見せてもらいたいに決まっているが、「沢山見せていただいて、頭がパニックなので出直して来ます」と申し上げると『今なら見せてやるが後ではだめだ!』一喝。おかげで大変な贅沢をさせていただきました。そんな折も必ず、 『威張ってないね』 『優しいだろ』 『日本はすごいね』 そして最後に 『おまえは日本人だろ』 とに云われるのが常のようでした。  中国鑑賞陶磁で拝見させていただいたのは唯一・成化・のものでした。中国鑑賞陶磁の中にまで『巌』様の『好み』は貫かれているようでした。  親父とも、その後は親しくしていただき『瀬津雅陶堂』さんで企画された・酒器展・にもご依頼を受け、親父の作品のなかでは一番柔らかな作風の・伊呂恵・で出品させていただきました。  この夏、東京国立博物館の・平等院展・で『雲中供養菩薩』を拝観した。これが『巌』様が憧れてていらしゃる世界なんだろうなァ。中国大陸から伝わった文化が「飛鳥」「白鳳」「天平」と徐々に『和様化』され、その頂点が・平等院・の世界である『やさしく、やわらかな、優美で雅びなお姿とお顔』温かく見守ってくれそうで、そして、拝するもの自身をも素直な心にさせてくれる。  会場でご子息の『勲』様が我を忘れ、視とれていらしゃるお姿をお見かけした。しばらくしてから「この世界いいね」と声を掛けた。興奮しながらもやさしい眼でいらっしゃった。このことが忘れられずお話したく、数日後、お店に伺った。その折、『勲』様から唐時代の佐波理を見せて頂いた。それは厳しい形ではあるが「やさしく、やわらかなライン」であり、「正倉院」や「法隆寺」に伝わっているものよりも、優美さにおいては優っているように思え、流石と感じ入っていた。  その数日後、お尊父上様の御訃報を耳にした。 あれだけ、雅びな世界に憧れ、その世界を実践なされた方である。 みえない五色の糸に導びかれ、きっと『雲中供養菩薩』に囲まれた、あの雅びな世界にいらしゃったものにちがいありません。  一説によるとあの佐波理は『香』を入れる器とか  やすらかに  拝 
(陶説(571)寄稿 2000.10.1)