私は来年50歳代を卒業する。自身の宿命と覚悟で、18歳の時、祖父、父の許で、家業である「やきものや」の修行に入った。ジーンズはその宿命に悩んだ思い出と重なる。
以来40年、家の内においては、祖父、父への、反発と、自己の主張であった。ただ、一歩外に出てのお付き合いには、自我を強く表現することを控えた。それは、ほとんど全て目上の方々であったこと、そして、何よりも、そう意識するようになったのは、「北宋の汝官窯青磁」に出会ったことに起因する。
そもそも、20代前半に「南宋官窯青磁」の貴公子を思わせるような「かっこいい青磁」を探るために、台北の国立故宮博物院に繰り返し研究に通った。そのとき、となりの一室に、そっと静かに慎み深く、観るものを温かく迎えてくれる、慈悲深い高貴な女性を思わせるような「汝官窯青磁」に魅せられた。そして、その魅力に憧れ続けている。
その青磁は中国陶磁にある、強く存在感を表現するというより、観るものが意識を持たないと、見逃してしまいそうな美しさなのだ。
以来、私自身の心の中にあるそのような方に、ご覧いただけるような作品を作りたいと、思い続けている。でも、実現はしていない。
たぶん、ご覧に入れても、何もおっしゃらず、ただ、「にっこり、微笑んでくださる」だけであろう。
つまり、私自身が、その方の前へ、「この作品をお見せできるか、否か」を問うことによって、自身では迷う判断を、心の中にある方に委ねるのである。
このことにより、『中途半端な自我を強く主張した作品』は、恥ずかしく、見せられなくなり自重するようになる。
もし、そんな慈悲深い高貴な女性に出会っていなかったら、、、
「かっこいい貴公子」のまねごとに明け暮れていたであろう。 |